The d.e.p

Vivian Hsu

ビビアン・スー Vocal




 言わずと知れたスーパー・アイドルである。しかし、日本での彼女のパブリック・イメージは彼女のほんの一側面に過ぎない。

 1975年生まれ。台湾出身。1990 年、台湾の芸能美少女コンテストでグランプリを獲得。1stアルバム「少女隊」で台湾デビューする。その後、テレビドラマやCMで活躍する傍ら、映画「笑林小子」(台湾、香港、東南アジアで公開)で女優としてもデビュー。1995年に「週刊ヤングジャンプ」の表紙及び巻頭グラビアで日本でのデビューを飾る。それ以降の日本でのテレビCM、テレビドラマ、グラビアなどでの活躍、「ブラックビスケッツ」での活動は周知の通りである。しかし、一方で台湾での女優としての活動も継続しており、トニー・レオンと共演した映画『君を見つけた25時』、ジャッキー・チェンと共演した映画『アクシデンタル・スパイ』など、これまで台湾・香港をはじめとした東南アジア圏で広く公開された映画に出演。国際派女優としての側面も持っている。また、1998年には北京語1stソロ・アルバム『大麻煩』を台湾・香港でリリース。これを含め、これまでに4枚の北京語のソロ・アルバムをBMG TAIWANからリリースしている。



Masahide Sakuma

佐久間正英 Guitar / keyboards




 氏のキャリアは、1975年に「四人囃子」にベーシストとして参加したところから始まる。これを機に作・編曲家としての個人活動も開始。

 1978年には「PLASTICS 」に参加。3枚のアルバム、シングルを発表。数回にわたるワールドツアー(全米・欧)を行う。1979年には「P-MODEL」のファーストアルバムをプロデュース。以後、プロデューサーとしての活動を開始。1984年にはソロアルバム「LISA」(VICTOR/JVC)をリリース。以後、3枚のソロ・アルバムを東芝EMIからリリースしている。1999年にはミュージシャン・プロデューサーとして参加した「NiNa」をSony Recordsからリリース。

 また、数多くのCM音楽、映画音楽、テレビ音楽の制作に関わる一方、プロデューサーとしての活躍は広く知られるところである。例を挙げれば暇がないが、氏がプロデュースしたアーティストとしては代表的なところで「BOOWY」「STREET SLIDERS」「UP・BEAT」「エレファント・カシマシ」「JUDY AND MARY」「GLAY」「Hysteric Blue」等が挙げられる。2000年、佐久間正英氏の佐久間正英氏プロデュースによるレーベル「dogoodレーベル」をSony Recordsに設立。「Hysteric Blue」を筆頭に「HAGANE」「ピンクパンダー」といったアーティストを展開している。



Masami Tsuchiya

土屋昌巳 Guitar




  1973年に「リリィ」のバックを勤めたのをきっかけにバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」に加入。以後、プロとしての音楽活動を始める。

  1979年、セックス・ピストルズなどの影響を受け「一風堂(IPPU-DO)」を結成。立て続けにアルバムをリリースしていく中、3rdアルバム「RADIO FANTASY」を欧州各国でリリース。土屋=一風堂の世界進出が本格化する。また同年リリースしたシングル「すみれSEPTEMBER LOVE」の大ヒットは多くの人の記憶に残っていることであろう(この曲は「SHAZNA」によってカヴァーされた)。同時期に「JAPAN」のワールドツアーにも参加。一方で、「The MODS」をはじめ、「小比類巻かほる」「小泉今日子」「藤井尚之」などのさまざまなミュージシャンのプロデュースを展開。一風堂解散後の氏は音楽創作の拠点をロンドンに移しソロ及びプロデュースを中心に活動。最近では「THE BLANKY JET CITY」や「マルコシアス・パンプ」のアルバムなどをプロデュースしている。



Gota Yashiki

屋敷豪太 Drums




  1982年に「Mute Beat」の前身となるバンド「Rude Flower」にヴォーカリスト/ドラマーとして加入したのが氏のキャリアの始まりである。

  その後「Mute Beat」では多くの海外アーティストと仕事をしながら、1986年に「Melon」に加入。英国・欧州公演を行う。1988年には活動の拠点をロンドンに移し、その直後から「SoulⅡSoul」「Bomb The Bass」との仕事が始まる。「SoulⅡSoul」では大ヒットになった「Back to Life」でプログラミング、ドラムス、ベースを、「Get a Life」ではプログラミングを手掛けつつ、「SoulⅡSoul」のほとんどのリミックスも担当しダンス・ミュージック・シーンに多大な影響を及ばした。1991年、「Simply Red 」のアルバム「Stars」のレコーディングに参加。その後、ワールド・ツアーにも参加している。1994年には自身のアルバム「SOMETHING’ TO TALK ABOUT」を英国にてリリース。その後もアルバム「Live Wired Electro」、シングル「Good Time Here」をリリースしている。



Mick Karn

ミック・カーン Bass




 1974年、氏は当時15才の若さにして、David Sylvianらと共に「JAPAN」を結成する。「JAPAN」は80年代の最も影響力のあるバンドとして成長し、日本でも当時の「ニューウェーブ」の時流に乗って大ブレイク。1982年の解散に至るまで5枚のアルバムを完成させている。

 その後、氏は世界でも有数の名ベースプレイヤーとして名指されるようになり、チャールズ皇太子とダイアナ妃の為に2度にわたって演奏を依頼されている。また、世界中で600万人の聴衆に向けテレビ放映されたネルソン・マンデラに捧げるコンサートに参加した事などは有名である。氏はこれまでMidge Ure(Ultravox)、Peter Murphy(Bauhaus)、半野喜弘らとのコラボレーションプロジェクトに積極的に取り組んできた他、Kate Bush、Joan Armatrading、SUGIZO等、枚挙に暇がない程多数のアーティストとのレコーディングを重ねてきた。1999年、氏は「NiNa」へ参加。またこの年の前半には5枚目のソロ・アルバムである『Each Eye a Path』をリリースしている。